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No.198 仏陀は日本にもいた/清らかな世界

ずっと大昔の人は大自然そのものの中に生き本当に本当に綺麗でした。そしてどういうふうに綺麗だったかかと言いますと、そのバイブレーション、響きですね、響きの生活をしていたのです。 我々は響きの生活でなしに、経済とか技術とか、そういうややこしい渦の中で生きております。大昔の人々はこうした響き――透明なささやきの中で光り輝いていたのです。 向うに見える山、あれも自分だった。月、あれも自分だったのです。太陽、全てが自分だったのです。そしてそれらがある…あるということ自体が響きだったのです。響きと自分の響きとが呼吸しあっておったのです。 直結しておったわけです。だから見るもの全てが、また未来に来る時間、それらとも響きあっており、それらが自分だったのです。

ある時庭を見ていましたら赤トンボが飛んできました。嬉しかったですね。子供のころに見た赤トンボが一匹二匹三匹と飛んでいるのです。ものすごく懐かしい。そしてハッと分かったことがあります。 五十年前のトンボも今のトンボも同じだ。同じトンボだということを発見したのです。それとこれから三十年後のトンボも同じトンボですね。汚れていないトンボ。人間が汚れているのにねえ。 人間は時間が経つにつれて、年代が経つにつれて汚れていってゆく。明治の人間、大正の人間、昭和の人間、平成の人間へと決して綺麗になっていくとは思えない。何か大切なものをどこかへ置き忘れてゆくような、末恐ろしい感じがします。 ところが、そのトンボは私の少年時代のトンボと同じ透明なものでした。少しも汚れていない。すると千年前のトンボもこれと同じだったんだな、汚れていなかったんだな。また二千年前のトンボも同じだったと感じました。 その時に「赤トンボ、今年も同じ赤トンボ、人間だけが汚れてゆくなり」とつい歌ってしまいましたが…人間はもうほっといても汚れていく。もう簡単に汚れていく。しかしトンボは少しも汚れていない。その二つの対比を見たのです。 なぜトンボは汚れていないのか、なぜ人間は汚れていくのか。宇宙を貫いておる透明なバイブレーション、そのバイブレーションがこのトンボをすっと貫いている。透明なバイブレーションがこのトンボの全身をずっと貫き通している。 トンボばかりじゃありません。木だとか、草とか、そういうものを貫いて通っている。

ところが我々の体の中に何が貫き通しているのですか。何が我々の体の中に入っているのでしょうか。自分たちの体の中にいらんものがいっぱい貫き通しています。これは今日までの精神文明です。 今日までの精神文明と言いますと良いことのように思いますが大して良いものとは思えません。トンボのように、宇宙を貫く大生命、大バイブレーション、透明なバイブレーションが、ずっと自分たちの体の中に、頭の中に、貫き通っているのですから、 それを受ければそれだけで十分だったのです。それだけで自分たちは透明に生きていけたのです。分かりますね。そうするとこんな今のようなややこしい社会は出来上がっていなかったはずです。

この宇宙にはすごいすごい透明なバイブレーションがあります。それを自分たちは、今こそトンボが受けているようにこの全身に、宇宙の透明なバイブレーションをずっと流さないといけません。もう一度やり直すのです。我々は汚れきっているのです。 ああでもない、こうでもない、こうせよ、ああせよと言うことは、その時には少しずつ効果があったでしょうが、そんなものは何もいらないのです。トンボのように宇宙の透明なバイブレーションをずっと通せば透明になってくる。健全になってくる。




過去も現在も未来もこの世にはない
ただ「今」があるだけだ
その「今」はおどりだ 舞だ
半導体的空間の舞だ

消えた構図の世界
それでこの社会をかえよ

はすかいの世界こそ真理である
はすかいこそエネルギーの元である

はすかい はすかい 非均衡系の世界
そこには舞があり おどりがある
詩を神話をそこに感じとれ

はすかいは 非均衡系はすべての
存在の元である

そこに詩を感じとれない者は
物理学の世界で
とどまってしまう
真理をかいま見ることなく
そのものは とどまってしまう