Home >> KALPATARU >> Prev >> Next >>

No.186 日本文化とその動き

私が書いた「太陽の歌」という詩があります。この詩にあるように太陽一つを見てもこういう詩が生まれる訳です。ここに歌われた詩は、太陽が昇ってきます。その太陽が昇る以前に光が上がってきます。その太陽というものをだいたい火の車と例えています。 そして太陽から出る七色の光があります。その光が七頭の馬に例えてあります。その七つの馬がその太陽の車を引いていきます。そのように太陽が自分ひとりで昇るのでなしに、馬に…光線の馬に引かれて太陽は昇ると、ここでは歌われています。

世の中の人々は自分が自分で何かしておるように思います。ところが自分一人でやっておるようですけれども、自分一人でやっておるものは何もありません。太陽が自分で上がってきておりますが、しかしその太陽は自分が自分の力で上がっているのではないと歌われております。 その光が、七色の光が七頭の馬になってその太陽を引くから、太陽が昇ってくるのだと歌われております。ここが詩の世界と感覚的な知的世界との違いです。知的になると人間は盲になります。詩的になると本質的になります。

そのように自分たちは自分の力で生きておると思っております。ところが自分の力で自分は何事もやれないのです。自分たちが何か食べ物を食べます。自分が食べたから力が出て自分で生きているのだと思っています…。ところが本当はその食べ物のおかげで自分たちが生きておるのです。 そのように他の助けなくしては自分たちは生きておれません。ところが人は他の助けのことは考えずに自分が何かをしておるように考えます。主体が自分になっております。すると傲慢で、かつ本質を持たない、盲であることを知らないあわれな人間で終わってしまうのです。

人の考えには二通りあります。自分は何かをしている。これは自分がしたのだと思う人と、もう一つの道の人は他の助けを得て自分が生きておる…ということを知っておる人です。そういうような意味で深く物事を考える人は自分が何かをしているとは考えません。自分は他のヘルプによって、 今の自分があり、自分が物事をしておるという、そういう深い考えを持ちます。そこに礼拝という言葉が生まれてきます。礼拝という行為が生まれてきます。礼拝を軽蔑し自分の力をたたえている人は死ぬ時には一粒の砂程の小さい富をも持たずに死にます。悪徳という大きい荷物だけを背負って…。

日本でも昔の人は昇ってくる太陽に手を合わせて拝みました。私の子供当時も親からそれを教わりました。ところが現代の子供たちには太陽はただの太陽にしかすぎません。昔はそのように太陽に手を合わして拝みました。またお月様にも手を合わして拝みました。 それと食べ物にも手を合わして拝みました。そのように見えない所に流れておる助けに対して手を合わす心がありました。それが人間と宇宙の全てのものを詩という糸でしっかりとつないでいました。

ところが今では宇宙の全てのものは我々の研究対象になっております。我々がそれに対して感謝し、それに対して手を合わし、そこから詩を作ることを忘れてしまいました。すべては大人の知的研究の遊戯になってしまいました。ここに大人たちの責任があります。

日本では満月を非常に歓びました。満月の丸い丸い丸さと円満さと透明な光を見て、それを自分の心の鏡としました。秋の9月だったと思いますが、9月の満月には、特にその月を見る会をしました。その時はお月様に、すすきの花やその他の秋の花を花瓶に生ける、生けて供え、その前にだんごと御酒をお供えしました。 そして親が子供たちを集めて子供たちに手を合わさせて、そのお月様を拝みました。日本ではそれを「月見」と言います。

その月見の時に歌を作ります。詩を作って、宇宙と自然の中に自己の魂をさがそうとしました。そして人々はその自分の作ったポエムを他の人に発表します。そういう時、日本人は「風流」という心のさざ波と自然との触れ合いをひそかに感じます。そのように日本人は自然に親しむ習慣が強かったように思います。 そういうような意味で、日本人はすべて詩人だと言われてきました。




■■ 新世界をつくる ■■

一 相手を消し 自己を消し
  そして 相手と 自己をおけ
  それは真実なる相手と自己である
  そこに無限の可能性がわいてくる

二 天も地も月も太陽も
  空気も空間も 相手の人間も
  そこでは真実なるものとして
  自己の前に姿を現わす
  それらと手を取り合えるのである
  相対がなくなってこの多様性の
  世界の中で 無限の「可能性」が
  華咲き始めるのである

三 ブラフマンから唯一者(宇宙の根源)が
  現われ 人々も現われた
  そこには無限の「可能性」が
  意図され 意義づけられていた
  すべてが手を取り合って
  その可能性へと向かうのである

四 相対的 相対でなく
  一元的 相対
  一元的 多様性へ
  その統一へ向かうのである

  兵士が軍旗を先頭になびかせて
  意気揚々と進軍する如く
  我等は宇宙万物と共に
  統一戦線を繰り広げるのである

五 神々も共に来い 霊感でもって
  人々を 震い上がらせよ
  太鼓が高々と打ち立てられよ
  ホラ貝を鳴らせよ
  進軍ラッパを高々と
  響き立てよ

六 花婿と花嫁が門出を祝う時だ
  あなたと私は あなたと私が
  消えて 抱き合う時だ
  前進 前進 共同で仕事を
  推し進める時がやって来たのだ

七 男と女が組み合わされ
  一家族と一家族が組み合わされ
  一つの大きな家族となるのだ
  地球大家族と 宇宙大家族となるのだ
  国境もビザもパスポートも
  とりのぞかれよう
  神々よ 汝の光でもって
  我々の囲いをとりのぞけ
  神々よ なまけるでないぞ
  我々に続け
  広い牧場を 垣根のない場所を
  動物たちの為にもつくれ

八 華が咲いた 華がここに
  華となって
  大きく宇宙大に広がるのである
  華はやはり咲かねばならなかった
  人間は華であり 空気も月も太陽も
  星々も動物も石も
  すべて咲くべき華であった

九 手を取り合って 抱き合って
  仕事に可能性に立ち向かおう
  進軍だ
  つらいとか 悲しいとか しんどいとか
  そんな今までの人間の言って来たような
  事を考えるな
  そんな「くだらぬ」思考をすべて
  汝の魂の自由のために捨ててしまえ

十 自己を消し 言葉を消して
  抱き合え
  手を取り合え ほほ笑め
  歌え 踊れ仕事に励め
  そして憩いをとれ
  ピュアーはこの時実現される


1976.3.2.