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No.161 神話について/神話とは何か、詩とは何か

さて、宇宙の元、根源というのですかね。そこからマーヤの世界というものが現れた。自分達も宇宙も全部そこから生まれた。だからそこがそこが自分達の親元と言いますか、故郷だと言いました。 その根源からどのようのしてこの世界が現れたのか。それは今の科学者が取り組んでいる大問題ですけれど、そういう問題はさておいて、 今日はその根源とこの世界にまたがって存在している神話の世界というものについて話を進めていきます。
この神話の世界は今申し上げましたように実在とマーヤの両方の世界にまたがっているので、両方の性質を持っているのです。 「神話」というものはそういうものの中にあるわけです。自分達が言っている詩とか芸術とかもそういうところに濃厚に現れています。 詩とか芸術とかはこの「神話」の世界の中にあるのですね。
これは以前から何度も繰り返し言っているのですが、「神話」と「神話的物語」とは違うのだということです。ギリシャ神話は「神話」ではなく「神話的物語」です。「神話」というのはそういう一つの存在があるのです。 月や太陽があるように、物語でなくてあるものなのです。この宇宙が現れる以前のものなのです。そしてその「神話」という世界を通って、この物質世界の宇宙というような大きなものが生まれているのです。 だから自分達が一番大切に考えなくてはいけないのは、人間が意識的に創り出した神様と違って、この「神話」というものを考えないといけないのです。

それで自分達のこの体の中に神話という世界があるのですね。その神話という世界を通りこすと元の世界があるのです。だから自分の体にある神話というものを探さないといけないわけです。 探さないといけないのですけれど、ここにあるそこにあるというような物質とは違います。見えるものと違いますからなかなか難しいですね。 難しいけれどもそういうものを探さないといけない、分かりましたね。
詩とはどういうものか、神話とはどういうものか、何遍も同じことをお話します。この詩というものも自分達の中にあるわけです。詩についてお話しますと、子供はきれいな詩を書きます。 大人に詩を書けと言ってもなかなか難しいですけれど、子供はペコペコペコッと書きますね。書いたり言ったりします。子供のチャッチャッという言葉が詩であったりします。 そういうふうに体の奥に詩というものがあるからそれが出てくるのですね。4才ぐらいまでの子供はチャッとそういうことを言います。 きれいなことをね。
そこで詩についてもっと詳しくお話します。自分たちの知っている詩というのは文章になった詩ですね。詩の文章、それは詩とは違うのです。詩と詩の文章とは違うのです。詩の文、それを詩歌と言います。 本当の「詩」と違って文になった時、これを詩の歌と言います。これは「詩」ではないのです。難しいですね。どれが「詩」だと言ったら、これもまた見つけるのが難しい。ものすごく難しい。「詩」とはどういうものか言いようがないのです。 文章になったのは知っていますね。しかしこれは文章なんです。本当の詩人は意識をずーっと高めていって「詩」に触れてね、詩の文章を書くわけですけれど、そんな名人芸をする人はあまりいないのです。 自分の考えで智や情感を交えてなんやかんや考えて詩のような配列とかリズムを作り文章を書いて、詩と言っているのですけれど、それは詩歌であって本当の「詩」とは違うのですね。 「神話」も神話的物語を我々が神話神話と言って間違ったとらえ方をしているように、一般の人々は詩歌と「詩」の区別をはっきり分かっていないのです。

ではそこでいつもお話しすることですけれど、詩というものはどんなものか非常に分かりにくいですが、非常に分かりやすい例で皆さんに分かるようにお話しましょう。詩とはつかんでもつかめない、見ても見えないのですけれども、 しかしそういうものを分かるように、分かる神経ができるように今からお話しましょう。
私が書いた詩の中にこういうのがあります。「木が一本立っている それは詩である」これを何遍も口で言って言って言っている内に段々分かって来ます。「木が一本立っている それは詩である」これを何遍も何遍も言うのです。 木はね、あれが欲しいとか、映画に行きたいとか、そんなこと何も言いません。そんなのは俗心ですね。木は何も言わない。黙ってピシッと立っている。それは詩である。
これをアメリカの青年に、青年と言っても40幾つですが、その人に話しました。「木が一本立っている それは詩である」本人も一生懸命にそれを繰り返し言っていました。 また家へ帰って一日中それを言っていたらしいです。詩というものの中には、木が立っているいるような何か不動のようなものを感じます。仁王さんなら仁王さんがバッと立っている。それは詩である。こうも言えるのですね。 だから詩というものの中には、ピョコンピョコンと動くようないい加減なものはなさそうですね。「木が一本立っている それは詩である」ドシッとして動かないのです。 そうして私の話を聞いてそのアメリカ人が家へ帰り、一生懸命そればっかり言っていたというわけです。
それで一か月たってからその青年が来たのです。興奮したような顔でね。「先生、木は高僧であるということが分かりました」高いお坊さんということです。木が一本立っているのをジーッと見て閃いたというのか、ハッ、そこに詩がある。 そしてその木というのは偉大な立派なものだなぁと、高いお坊さんだということを知ったのです。それを興奮しながら私に言うのです。立派なことを知ったものですね。そしてその次がまたすばらしいことを言うのです。 「先生、そして木には無知がないということを知りました」これもまた立派ですね。木は賢い。木には甘さがないというのですか、木は偉大なものだ。木が一本立っているということは偉大なことだという意味と同じですね。 「木には無知がないということが分かりました」その言葉を聞いて私もびっくりしました。教えた方がびっくりしてしまった。立派なものですね。頭のいい青年ですね。「木は高僧である 木には無知がない」
そうすると詩というものの内容は無知がないということが分かります。詩というものは垢抜けしきっているのです。ほこりが何もない。揺らいでない。我々人間は欲望が一杯あってあれもこれもと揺らいでいます。 スキッとしていて倒れない。そこにそうしてスキーっとあること、そこに詩があるのですね。

我々が考えているような詩の文とか詩の歌とかいうのと、全然内容が違います。そういう詩というものがこの世にあるわけです。また自分達の奥の方にもあります。だから子供達はそこからそういう詩的な言葉をポツンポツンと言えるのです。




■■ 宗教の世界がここにある ■■

同時存在の幾何学の世界 同時存在の幾何学の世界
同時存在の幾何学の世界
そこには二がない 相対がない むろん一もない
そこは同時存在する世界である
同時存在する世界は まとめ上げられた世界である
そこには あちらとこちらがない 私もあなたもない
同時に存在する世界である そこには 離れというものはない
離れてあるものはない 同時に存在している世界である
それは構図の世界 構造の世界である
信仰も神も愛も信頼もない こちらからあちらを見るという
そんな感覚的――相対の世界ではない
そこは まとめ上げられ まとまった世界である
その構造の位置こそ 我々の「統一」とよばれている位置である
我々には 自分と他というものは ないのである
その「統一」の位置に意識を集めよ すべてがぼやけて見えてくる
いわゆる相対感覚が なくなってくるのだ
構造の世界 構造の世界こそ 自分の本質の世界である
この一も二もない まとめ上げられている 同時存在する世界に
意識を集めよ 私もあなたも 神もなくなってくる
宗教の世界がそこにある