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No.141 存在と内在者/宇宙からくる知恵

ハイデッガーの本を読んでいたら、その文章が難しいんですね。読んでも分からないようなところばかりです。 読んでも分からないところを分かろうとして読むわけなんですが、難解といってよいのか、さっぱり分からないところがいっぱいあります。

そこで私は考えた。ハイデッガーの考えたこと、見つけたことは言葉となり、文章になっているけど、これが本当にハイデッガーの求めたこと、 見つけたことを十分に言い得ているかどうかと。文字を通じてハイデッガーの見つけたもの、言わんとしていることの真実なるものをひっつかまえようとしていたわけですね。
文字になりますと、本当のものというのはどこかへ消されますね。スピリチュアルなものというのは言葉での表現が難しくて、十分言えないことがいっぱいありますね。 だからハイデッガーの見つけたことは言葉では十分表されていないし、また我々は翻訳を通じて読むのですから十分知ることは出来ないけど、 出来なかったらいけないから、出来るようにしないといかん。それにはインスピレーションを持たないと、ハイデッガーの奥にあるインスピレーションをつかまえることは出来ないわけです。

私は若い時にハイデッガーの本を本屋で買い求めて、どういう読み方をしたかと言うと、一時間でも一分でも早く読みたいです。ページをあけて読みたいけど読まないんです。 読んだらもう失敗なんです。読めばパーパーッと読めるでしょうけど、また簡単な文章だったら、もっと分かって読めるでしょうけど、 こういう文章は読むことでつかまえられるなどと思ったら大間違いですね。読んだからと言っても、自分の知識の範囲で分かっただけにすぎないわけです。
それより自分の心をもっと正常な心にしないといかんのです。「心を正す」といいますか、日本の言葉では襟を正すといいますね。和服を着ていて、偉い人のところへ行く時には襟を正して入って行く。 即ち服装をちゃんと整えて入っていくでしょう。そのように自分達は本を読む時でも、自分の服装を正さないといかん。ネクタイのゆがみを正すということと違って、心をやはり正さないといかん。 心をやはり正さないといけないわけです。

だから私がハイデッガーの本を買ってくる。そしてそれを机の上に置いて読む時に、机の上をきれいに拭くんです。神様の前に座るように、本を神様のように扱って読むということが大切です。 それは自分の心を正しているわけです。まずテーブルの上を拭く。そしてそこに本を静かに置く。ポーンと投げて置かない。それは自分というものの姿勢、態度です。柔道でも剣道でも空手でも、やる時には礼をします。 それと同じです。

さて私はテーブルをきれいに拭いて、本を神様のように思って静かに置きます。そして本を両手で持ってひたいにくっつけます。拝むわけです。本を拝んでテーブルの上に置いて、その日はページを開けない。 そして静かに目をつぶって、めい想して、その日は終わり。翌日はまたテーブルの前に座って、本を静かに置いて目をつぶって、それから静かに目を開いて、その本を両手でとってひたいにくっつけて、 拝んでまたテーブルの上に本を置きます。その日も一ページを開けない。
三日目あたりになって、やっと一ページの表紙を開けるわけです。表紙を開けても何も書いてないですね。タイトルは書いてあります。タイトルを読んでもう閉じます。 また本を静かに置いて、両手を合わせて拝んでその日は終わり。三日間は読まない。四日目あたりに、初めて字の書いてあるところを開けるんです。そうして今度はその字を読むわけです。 字を読むんですが、一行しか読まない。一行も読まない。一行の半分読むわけです。

そうしたらね、普通にペラペラとページをめくって読んで分かるような分かり方と違って、もう半行読むだけで、ものすごいもの、宇宙がこわれて大洪水がウワーッと自分のところへやってくるような、そういう偉大なもの、 スピリチュアルなものが、半行読んだ時、その活字の中からワーッとおしよせてくる。ものすごいものです。
そうして分かった内容は宇宙からきたようなものですね。まぁ宇宙を大きな風船として、針でその風船を突いた時に風船の中から(風船の中に水が入っていたとしたら)針の穴からその風船の水が飛び出すようにね、 半行読んだ時にバーッとものすごいものがやってくる。宇宙にある知恵がバーッと。

本というものは生きたものなんです。一行でも生きたものです。その一行に打ち込んでいる活字そのものが生きているんです。字というものは人間がこうして生きているように生きたものです。
四日目あたりから、一行の半分を読んでいく。ちょっとずつ。するとそこから大洪水か嵐のように、バーッといいものがやってくるんです。 するとハイデッガーが見つけた、あるいはハイデッガーが見つけた以上のものもあるかも分からない。その知恵が宇宙からバーッとやってくるんです。そういう読み方をしたことがります。そして色んなことを知っていったんです。

ある時は字をにらんでいるんです。にらんでおったらその活字がピョコピョコと動いて飛んでくるのです。生きているのですね。またある時は活字をにらんでいたら、字がボーっとなって見えなくなって金色の文字が顕われてくる。 そして深い意味がそこに示されているのです。そういうふうにして奥なるものを見つけていくのです。




■■ すべての中に私はいる ■■

私はそれだ
すべての中にあるものだ
私はそれだ
すべての中にあるものだ

自己を破って
自己からはなれて
すべての中にいるものとなった
すべての中に入ってゆくのでなく
すべての中にあるものである

私はそれだ
すべての中にあるものとなった
私はきえた
自己の頭の中にある意識
私の顔 私の名
私という意識等を破った時

すべてがピュアーに
かえってしまった
かえってそこに
すべてのものの中に
入ろうとしたが
入れなかった

入ろうとする事は
相対であるから
入れなかったのだ

入れるのでなくそれ自体が
ある
自己にかえった

私はそれだ
すべてのものの中にあるものと
なった
すべてのものの中に私はいる
あなたの中にも私はいる

花の中にも
このベルの中にも
紙の中にも
神々の中にも
ホラ貝の中にも
水・山・空気の中にも
私はいる