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No.129 ハイデッガー以降のハイデッガー/宇宙は礼拝そのもの

私がいつも言うように、音楽というものはこしらえて音楽になるのと違って、音楽というのがちゃんとあるんですね。そのあるものをひっつかまえてきて、楽譜の上にのせるわけなんです。 お魚がピチピチと生きているように、音楽という生き物がピシピシうろこを光らせて跳ねているんです。
真理探究の真面目な姿勢というのは、まず第一に謙虚でないといけないです。科学者にしても、哲学者にしても、天の音楽を聞くところから出発しないといけないですね。 頭の中で理論を展開させるのでなしに、天の音楽に耳を傾けないといけません。これが本当の哲学者、これが本当の科学者、これが本当の芸術家なんです。 ですから、初めから態度を間違えたら、もうでくの坊で終わってしまいます。

世の中一切が、宇宙一切が、神話に満ちています。神話はいろいろな論理を越えて、はるか彼方に歌うたっています。神話は透明だと言えます。 神話は透明な角度でできあがっています。神話というのも一つの生き物で、構造を持っています。そういう神話の持っている透明な角度というものを学んでいかないと、その存在に入っていくことはできないわけです。
宇宙の奥には我々が持っているような知識とか、知恵とか、へりくつというようなものはないんです。本当に神話的と言いますか、波動と波動が交わって喜び合う、波動と波動がぶつかり合って違う波動を起こすそういう波動の世界がこの宇宙なんです。 きれいな波動をいつも宇宙はこしらえています。人間はその波動の世界に入っていかないといけないんです。きれいな透明な波動へ波動へ入っていかないといけないんです。
ところが今までの人間は、知恵の中へ、合理性の中へ入っていきました。そして哲学を、いろんな理性というものをこしらえたわけですが、それは悩みをいつまでもまき散らします。 ですから、我々はふるえる世界、振動している世界、喜びにふるえている世界に入らないといけないんです。

私は以前からこの宇宙は礼拝に満ちていると言っています。礼拝といいますと、今までの観念でいいますと、相対的なものです。人が神様を礼拝するとか、あるいは聖者や賢者を礼拝しているとかいう、そういう相対的な中で行われるものが礼拝だったわけです。
ところが私の言っている礼拝とはそういう相対でなしに、一元的なものなんです。宇宙は礼拝そのものである。ねぇ、きれいですね。宇宙は礼拝そのものである。きれいな波動がありますね。本当の宗教というものは相対的なものではないはずです。 一元的なもの、自分自らがそうあるべきもの、それが宗教だったわけです。
しかし、神を前に置き、賢者を前に置き、それを拝み始める。そしてそれらに耳を傾け、こうべをたれ、教えをこうたわけですが、そういう相対をいつまで続けていてもこれは平行線で、そういういままでの宗教から足を洗って、我々は本当の宗教に立ち帰らなければいけません。 宇宙は礼拝そのものである。自己は礼拝そのものである。花一輪は礼拝そのものである。本当の宗教というものは、それがわかり、それに感動し、自分自らがそうなる事です、それがインドでやかましくいわれている自己実現というものなんです。 宇宙は礼拝そのものである。そういう礼拝の中から、神話が生まれてくるわけですね。

で、芸術の一番源というのはやはり礼拝のように思いますね。宇宙の本質とは一体何かと言いますと。やはり礼拝だと言えますね。では礼拝というのは一体どんなものかと言いますと、ピュアーなものです。礼拝とはピュアーなものです。 ピュアーなものというのがあったとして、それは何に接点があるかというと、やはり礼拝というものにあります。

ここで一言大切な事を言っておきたいのは、ただ単にこの技術文明の中で礼拝というものを持てばいいと簡単に終わらせるのでなしに、人は直観力と言いますか、意識神経の閃きと言いますか、何が正しくて何が間違っているかという事を見分けられる能力を待たなければならないという事です。 今までの人類はそういう能力を持つ事なしにさ迷い続けて時間を無駄に費やしてきましたからね。その神経を持って人は時間を縮め、更に人類の文明社会を発展させていく事ができるわけです。
そういう神経というものは、人間ばかりでなしに動物たちも皆持っています。人間だけがそういう神経を失っているわけです。まず宇宙の音楽に耳を傾ける。そういう事から入っていかないといけないと思います。宇宙は人々にいろんな事を教えてくれています。その教えてくれている事をわからずに、 自分たちは机の上で本から学ぼうとしています。それはもう皆間違いです。本に目を通してもいいですが、宇宙にアンテナをはって本を読まなければいけません。本に書いてある事が正しいか間違っているか、宇宙にアンテナをはって判断しながら、本を読む必要がありますね。

人間の帰郷、すなわち存在へ帰るという帰郷と同時に、やはりこの現実界の実現というものとも結んでいかないといけないからむずかしいですね。帰郷と同時に、これからの人類のあり方を結ぼうと思うと、その神話というものと礼拝というものに入っていかないとひっつかないわけです。 では、今日の話はこんなもので置きましょう。人類の方向性ですね。間違わずにいってもらいたいです。宗教の修養だとか宗教の経典の勉強だとか、あるいは哲学とか、いらないところで時間をつぶさないようにしたいものです。




■■ 木の詩 ■■

私は見ることが出来ない
木のような一つの詩
神様だけがつくる事が
出来るのだろう
この詩を

私は詩を書くことが
出来るが
神のつくる こんな詩は
つくれない

私に見せておくれ
その一つの詩の神秘を
その詩作の神秘なる力を

あなたは一つの木のような
詩である
あなたの中に 我々は
入ることが 出来ない

我々はあなたの中に
入ることは出来ない
その神秘の中に

一つの木は 立っている
一つの詩は 厳然と
そこに
我々の前に立っている