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No.117 魂の躍動

二千年生きようと思ったら健康が必要です。悪いところがあったら、いくら頭で偉そうなことを言ったり考えたりしても「やっぱり老いというものはくるんだなぁ」という考えが起こりますから、健康が大事ですね。 二千年も本当に生きられないとしても、それぐらいの意気込みを持たないといけないということがここで言われていると思うんです。自分たちは今まで百歳以上は難しいと思っていましたね。 二千年生きようと思ったら二千年生きられるということとは違いますけれど、それぐらいのファイトを持って生きたいですね。

自分たちは百歳ぐらいまでしか生きられないという弱い考えで、自分の肉体そのものをこしらえてしまっているわけですね。人間の意識というのはたいしたもので、小さく考えると小さくなるし、大きく考えると大きくなりますから、 明るく大きく伸び伸びと思うことです。二千年生きてやるという思いでね。死んだあの世でも二千年生きる。二千年はおろか一万年でもいくらでも生きてやるぞと、魂の発奮というんですか盛り上がる力というものを自分の中から出さなければいけないですね。 この世の中の死ぬ生きるはよそにほっておいてね。皆この世の中の死ぬ生きるばかりが頭の中にありますが、そんなものは小さいものです。いくらでも生きてやるぞという生命力が必要です。魂の躍動というのがいいです。

今ちょっと私の頭に(魂の躍動)という言葉が引っかかりましたが、この魂の躍動というのが肝心ですね。自分が躍動しているかどうかが問題です。ボサッとしていたらだめです。グッと引きしまって魂が躍動しているかどうかということを一時考えないといけません。 世の中がガチャガチャしていますと、そういうものに意識がいって、自分の中味というか魂というか、中へ集中するということを忘れてしまうんです。商売だとか借金だとか、走り回って人間関係で振り回されていると、魂の躍動という言葉すら忘れてしまうんです。

私もそんな経験がありました。インドへ行き、初めて日印文化協会というものをマドラスにこしらえたんですが、そのために生花とかお茶とかお人形の先生などたくさんのスタッフを日本から送ったんです。こちらの人がお金を持って向こうへ行ったんですが、行って半年しかビザが取れないので、また新しい人を送らなければならないというわけで大変でした。 そんな中で何年間もマドラス日印文化協会というものを続けたのですが、その初めの頃いろいろな人々が集まっていますから人間関係でいろいろなことになり、その中で私も振り回されました。インド人に振り回されたのと違って日本人に振り回されて、もう頭が忙しかったんです。

その頃、今のバングラデッシュがまだ戦争をしていたんですが、それがおさまった時にバングラデッシュ・日本文化協会というものを一人私がつくりに行きました。戦争で鉄砲の煙がたち、しゃれこうべがあちらこちらにごろごろある時に、一人で乗り込んで行ったんです。で、その時ふと自分は魂の躍動というのを忘れていると思ったんです。 半年間ぐらい魂が躍動していないと思いました。

バングラデッシュは二月になったら寒いのですが、その二月のある朝私が日向に立っていると、バングラデッシュのある青年が「日向で何をしているんですか」と尋ねました。「いや寒いからお日さんにあたっているんだ」と言ったら、その青年がこう言ったんです。 「あそこの木のこずえを見て下さい。花が咲いています。春は二、三日前から来ています。」私も花が咲いているぐらいは目で見て知っているんですが、その青年の言葉に魂が躍動したんですねぇ。引っかかったんです。

「今は春です」と言うと「ああそうか」で終わります。それが「二、三日前から春が来ています」と言うと、動いているわけですね。 二、三日前から今日まで春がグッグッグッとオープンしています。その二、三日前から来つつある春に引っかかったんです。その春の生命力に自分の魂が引っかかり、また躍動し始めたわけです。いったん躍動し始めると何もかもに躍動し、ものがわかるようになりました。鳥が翼を広げて飛んでいても何も感じなかった。まぁその以前は感じていたんですが、 自分の意識が落ちたんですね。感じなくなっていた。それがその青年に「二、三日前から春が来ています」と、春の動きを言われた時、魂が躍動し始めたんです。

自分たちがこうありますね。その中に魂というのがあります。頭でいろいろな事を考えてばっかりいたら、その魂がボーっとするんです。年だとか死ぬかもしれないとかそんなことを考えず、中味である魂の躍動というものをハッと気づかないといけません。このコップでもたたくとカンカンと音がするでしょう。魂の躍動と一緒なんです。たたかなかったら音がしないでしょう。 このようなふぬけな日常生活を送っていると魂がボーっとしてしまうんです。音がちっともしない。当たるところに当たったら自分がシャンとしてくるんです。

躍動、生命の躍動を自分の中に持たないと、世の中のいろいろなことに振り回されます。人間関係とか経済とか、いろいろなことに振り回され、グルグルしてしまいます。わかりましたね。だから躍動すること。自分がジンジン音しているかどうかどうかを確かめないといけませんね。一つピシッと自分に焼きを入れないといけません。ピシッと生命の躍動をしているかしていないか。 そこからが勉強の出発で、そこから自分を見つめる方へ走らなければいけません。

ピリッとして躍動してくると、もっと若々しくなってきますよ。もっと美人になる。もっと明るくなる。顔がきれいになって透明になってくるんです。これはもう嘘じゃない。透明になって輝いてくる。それは魂が躍動しているかしていないかだけの問題です。 躍動していると、二千年でも一万年でももっと生きてやるぞという考えが生まれてきます。そうなってくると頭がいつも若々しく、フレッシュというか、細胞が次々と増えてくるんです。

一番大事なことはインサイドにある魂が躍動しているかしていないかです。それを忘れていたら、世の中の荒い波にウワーッと振り回されておいぼれていく。もうシューンとなります。




■■ 透明は笑い ■■

透明は笑い
透明は笑い
宇宙の笑い
笑い 笑い

透明度は 角度をつくる
透明と角度は一緒だ
同じものだ

宇宙の笑いは
透明なる角度だ
それが 宇宙のほほえみだ

ああ そうだ 半導体も
角度だ
透明なる角度は礼拝である

透明なる角度は 斜め
そのもの
斜めは 透明である
斜めの線にそって歌い
おどれ

恍惚がやってくる
永遠なる 真実なる世界が
彼を みちびく


1984.01.07.