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No.107 新人種

今日の話は、文明人とか文化人とか言ってみな喜んでいるが、その反面<神話>を忘れた人間になってきているという話でしたね。だから文明人とか文化人と違ったもう一つの神話の方向というものを、やっぱり開拓していかないと、人間は人間でなくなっていきますねぇ。 これはなかなか難しいことです。 難しいけれどもこれをやらないといけないのですね。

子供は神話的ですね。幼稚園生の当時とかは神話的なんです。一年生でも神話的です。ところが大人は神話的で全然ない。それで感情にひっかかってばかりいるんです。神話どころじゃない。もう感情にひっかかって、いらんことばっかり言ってみたり、いらんことを言われてみたり、 もう一日中、三日も四日もそれにひっかかって、顔を見るのもいや、あの人とものを言うのもいやだというようなことが、三日も続いたり、そんなことの連続ですね。 もう地獄です。<神話>どころのさわぎじゃない。ところが子供には<神話>がある。この差たるや、ものすごいですね。 月とスッポンです。

そこで子供を研究する必要があるのです。それと自分達をも研究しないといけないわけです。子供が<神話>を持っているのはどうしてか。どうしたら子供の神話が自分達に持ってこれるのだろうか。子供の神話はどこから出てくるのか、という研究がなされないといかんわけです。 これがなされてくると、はっきりしてくるんです。ちゃんと実例があるんですからねぇ。即ち大人の持っている悪い実例と、子供の持っている良い実例がちゃんとあるんですから、ありがたいです。それを研究していけるわけです。そこで大人と子供の違いを考えるんです。

例えばこれは全然話は違いますが、宗教的にね人間が神話的にならないといかん。感情的になって争ってはいかん。感情をむき出しにしたらいかん。そんなものはほってしまって、愛情深くなって、もっといい人間になって……。というようなことを言っても、そうなれないです。 今までは、そうして宗教的な訓練をしてきたんですけど、人間が良くならなかったのです。もっと違うところで人間を改造していかないといけないのです。

それはどういうところかというと、時間の持っているもの、大人の持っている時間と、子供の持っている時間が違う、ということなんです。ここが今の話の一番大事なところです。本当の時間を持たないと、良い人間になれないということです。子供は良い時間を持っています。 ところが大人はどうかと言うと、大人は間違った時間を持って、間違った時間制の中で生きているんです。

どんな間違った時間制かと言いますと、過去の時間制を持っている。もう昔の事ばかり言うのです。昔の事ばっかり考えるんです。大人の持っている今というのは、今と違って過去なんです。過去がここにパッと来ているんです。過去のこれだけの歴史がここに立っているだけなんです。 子供には過去というのはないんです。未来というか、前だけが子供の今なんです。子供は前だけ見ている。大人は後ろだけを見ている。これだけの違いがあるのです。これが子供と大人の持っている時間の違いです。ここを直したら子供のようになれる。ただそれだけなんです。

例えば、子供は怒られてもすぐに忘れてしまうんです。子供はどれほど叱られても、すぐに忘れてしまって感情的にならない。私はね、それをいつも感心に思いました。子供をいくら叱っても、その時は悪かったと思って行動を直すんですけどね、怒られたことに対して感情的になるとかが無いんです。 大人にそんなことをちょっとでも言うと、もう大変なことが起きるような、そんな怒り方を子供にしても、ちっとも子供は腹も立っていない。恨みもしない。感情的にもなっていない。ただあぁ悪かったと思ってケロッとして、もう遊びに行っている。

なぜ子供はケロッとしているのか、感情的にならないのか。腹立たないのか、恨まないのか、ということですね。それは、子供は前ばっかり向いているからです。弓で矢をバーンと射たら、その矢は前にばっかり走るから、矢にひっついているものは落ちてしまうんですね。飛んでしまうんです。 だから前にばかり走るものには、今怒られたこともひっつかないのです。振り落として、前に飛んでいくのです。ところが自分達は、もう後ろをね、網をもって後ろのものをすくいにいって、それを肩へかついでいるんです。わざわざ後ろのものを網ですくって持っているんです。 子供はもう矢のように飛んで行くんです。前にばかり飛んで行くから、何が来ても、どんな事件があってもみな忘れてしまうんです。それだけの違いです。

だから大人が子供のような時間を持ったら、大人にならないで、子供のような大人になるはずなんです。日本人はね、大人のような大人です。日本の今の子供は、大人のような子供なんです。だんだん子供っぽい子供というのはなくなって、大人のような子供になってきたんです。怖いですね。 だんだん子供の年齢層が小さくなっているんです。もう四つか五つになったら、生意気なことばかり言って、大人のようになってしまった。

いわゆる感情に引っかかる大人というのは、過去の時間ばっかり持っているんです。そして前へ絶対行っていないんです。前に行っているように思うんですよ。今があって、また明日どうしよう、とかものを考えているんですから。前にいっているようなんですが、全然いっていないんです。 本当は後ろだけなんです。だから、大人がどうしたら救われるのかというと、前にばっかり走ったら、救われるということです。

まぁ簡単に言えば、持っている時間を切り換えたらいいのです。救うのは自分です。どう救うかというと、時間だけの問題ですね。子供のように、どうしたら前にばっかり走る時間を持てるかを研究しないといけないのです。そうでなければ自分の中で入れ替わらないです。 それで、前ばっかりと違う自分というものを、一度見つめないといかんです。

「あぁ、後ろばっかりの時間だなぁ、前というものを少しも持っていないなぁ、後ろにひっついた自分だなぁ」と子供と自分の違いを、はっきり自分で見極めないと、過去で生きている自分というものを飛び越えることが出来ないんです。見極めていると、だんだん前に走る乗物に乗れるようになれるんです。 ビャーッと走る乗物にね。まぁ自分でこしらえるんですよ。自分で前に飛ばすわけです。自分で前に走る乗物をつくって、飛ばして、それに乗るという、その技ができるようになるんです。そうすると後ろにばっかり走る乗物に乗っていた自分が切れてしまうんです。 それに乗る訓練、パッと乗っていく、その意識での意識訓練をしょっちゅうやるんです。そうすると、自分ではっきり分かってきます。後ろにひっついていない自分の状態が分かってくるんです。

大人が未来設計というのをたてますねぇ。高校を卒業して、いい大学へ入ってと、まぁ入らないといい就職が出来ない。いくつになったらどんないい会社に入って、それから結婚をして、それから働いて金をためて、自分の家を持って、それから子供をつくっていって立派な平和な家庭をこしらえよう、と未来設計を立てますね。 それは一体何なのかということです。

なぜそんな設計を立てるのかというと、過去に意識が向いているからです。人間が、突っ走ってないから、恐怖から考える設計なんです。後ろへばっかり向いているから、前へ行かない。後ろへばっかり行っている人間はいらんことを考えるんですねぇ。つまらん事を考える。いくつになったらこうしないといかん。 ああしないといかんと、これはもう恐怖から考え出してくる設計なんです。子供にそんな設計は何もない。そんな恐怖を持ってないんです。

大人は、あぁ金を貯めないといけないとか、家を持たないといけないとか、設計を次々次々して、その設計のために自分の人生を費やすわけです。働いて、それは恐怖の穴埋めをしているのです。何もいいことをしないで、恐怖症の人間が、自分で恐怖から穴を掘って、またその穴を埋めているようなものです。馬鹿げたことですねぇ。 まぁそれが一生です。そんなところに<神話>が実ってくるはずがありません。分かりますね。もし我々人間が、または子供が、前に突っ走ることばっかりしていったら、未来に対する心配は何もなくなってくるんです。




■■ 子供と神話 ■■

この世には 停っているものは
何一つとしてない

ところが 人間は停っている
今と過去に 停っている
だから 宇宙のリズムに
のれず
ウジウジしているのである

ところが 子供だけは
そうではない

彼らは少しも 立ち停っていない
彼らには 今と過去はない

先へ 先へ 次へ 次へと
行動を展開していく

いくら しかられても
けろりとしている
感情的にならない

先へ 先へ 歩を
はこぶ
一時も 立ち停ってはいない
宇宙のリズムに のっている

しかし 大人はいつも
立ち停まり
今と過去の中で 生きている
だから 神話になれないのである

神話は 立ち停っている者には
こないのだ
理くつやへりくつの中に
神話は やってこないのだ

理くつや へりくつは
立ち停っている者に
やってくるのだ

神話は 宇宙と共に
動いている
明るくそれは 軽ろやかに

透明はくる
透明は 未来にむかって
流れている

未来に向うエネルギーこそ
透明だ

停っている者は 死に神に
食べられてしまう

子供のように 前へ 前へ
進め
宇宙は 一つの大きい子供である

1986.08.03